日本維新の会を離党した政治家の金澤ゆいさん。
「民間の当たり前」を国政に、
をモットーに活動しています。
そんな金澤ゆいさんは
どのような学歴なのでしょうか。
噂ではリケジョで頭が良く、
グリコに就職していたんだとか。
金澤ゆいさんの学歴、経歴について調べてみました!
金澤ゆいのwikiプロフィール
プロフィール
名 前:金澤 ゆい(かなざわ ゆい)
生年月日:1990年10月23日
年 齢:34歳(2024年)
出 身 地:神奈川県相模原市
趣 味:クラシックバレエ・ストリートダンス・読書
音楽・アニメ・ゲーム・神社仏閣巡り・アート
スイーツ・美容・ファッション・生物化学
多趣味
金澤ゆいさんは、神奈川県出身で
幼い頃からクラシックバレエをしていました。
現在は趣味が多く、いろいろなことに興味があるんだとか。
また、金澤ゆいさんは多趣味に対して、
趣味も全て仕事や活動に活かしていきたい
と明かしています。
このコメントからわかるように
常に仕事のことを考えているのかと思います。
その他にも、防災に対する意識が高く、
防災士としても活動しています。
金澤ゆいの学歴は?リケジョで頭いい?
小学生時代
金澤ゆいさんの出身小学校は、
明かされていませんでした。
金澤ゆいさんは、3歳の時から
クラッシックバレエを習っており、
現在も続けているようです。
小学校時代は、合唱コンクールで
指揮者をするなど
このころからリーダーシップがあったのだと思います。
その他にも、読書好きで、友達と外で遊ぶのも
好きな子供だったようです。
しかし、スポーツはあまり
得意ではなかったみたいです。
中学生時代
金澤ゆいさんの出身中学校は、
明かされていませんでした。
中学時代では、副生徒会長を務めています。
中学生時代もクラスをまとめるなど
高校時代
金澤ゆいさんの出身高校は、
神奈川県立麻溝台高校(偏差値60)
です。
麻溝台高校は早稲田大学など、
私立大学への進学者が多くいることから
神奈川県では進学校として有名です。
高校時代では、体育祭の副団長をしていたそうです。
部活動はストリートダンスをしており、
学校が終わってからはバレエをしていました。
さらにバンド活動もしていたようです。
高校時代は、勉強、ダンス、バレエなど
忙しい日々を過ごしていたのだと思います。
金澤ゆいさんは、バレエのプロの道を目指していましたが、
高校在学中に留学をしないと
プロの道は厳しくなることを知り、
日本で色々やりたいと思っていたことから
バレエのプロの道を諦めたようです。
大学時代
金澤ゆいさんの出身大学は
上智大学理工学部(偏差值60)
です。
理工学部では、
物質生命理工学科を専攻していました。
リケジョだったのですね。
物質生命理工学科を選んだ理由は、
だったからです。
高校時代から理科が好きで、
人が生きるためには
ミトコンドリアが必要不可欠だと思い、
ミトコンドリアに興味を持ち、
知識を深めたいと思い専攻したみたいです。
また、その他にも
脳神経についても研究していたそうです。
大学時代の活動は、
ダンスサークルに所属し、
上智大学では「G-splash」という
ブレイクダンスサークルで、
入部は100人近く入るようですが、
3年後には30人ほどしか残らないぐらい
本気のサークルみたいです。
土日など休みの日は、
朝8時〜夜8時まで練習で、
深夜練習もあったんだとか。
文化祭で披露をしたり、
ダンスバトルにも参加したりしていたようです。
金澤ゆいの経歴は?グリコから政治家へ!
グリコへ入社
金澤ゆいさんは大学を卒業後に、
江崎グリコ株式会社
に入社しています。
入社時の所属部は、
マーケティング部
でした。
キャラクターコラボのマーケティングや、
ポッキーのマーケティング、
ポッキーの企画、開発
などをしていました。
入社してマーケティング部に所属するのは
期待されていた人材だったのだと思います。
金澤ゆいさんは、入社当時のことを
マーケティング部は優秀な人材が多く、
入社して半年は大変なことばかりで
平日は夜遅く土日まで働き詰めでした。
と明かしています。
こうした努力もあり
全社で2人しか受からない
時には100人に及ぶプロジェクトチームの
リーダーになることもあったそうです。
また、書籍の出版もしており数百人規模の講演会をするなど、
幅広く活躍していました。
新商品開発では
- アーモンドクラッシュポッキー
- つぶつぶいちごポッキー
を手掛けています。
金澤ゆいさんは、
この2つの商品開発は苦労しました。
コンセプトからデザイン、味など細部までこだわり抜きました。
と明かしています。
グリコを退職してからも
ポッキーに対する愛情は変わらないようです。
政治家へ
金澤ゆいさんは、グリコを退職してから
出産を機にキャリアを諦めた女性のブランディングを行い、
副業で生計を立てることが出来るようにする
ビジネスをしようと考えていたそうです。
しかし、一人でやっても
女性の雇用問題は解決しない
と思い、変えるなら
日本全体を変えなければと思ったそうです。
解決策を考えているときに
政治家という選択があることに気が付き、
20代最後の年に政治家になることを決めたようです。
また、大阪改革を進めてきた、
橋下徹元大阪市長や松井一郎元大阪府知事の
決断力やブレないところに惹かれて
しかし、2024年9月12日付けで当初から所属していた
日本維新の会を離党し、
離党については、
私の目指す政治と日本維新の会の在り方が変わってしまった。
私自身を振り返り、改めて進むべき方向を見直したいと思っております。
と明かしています。
▼他の政治家の記事はこちら
コメント