ヨーロッパ中部にある国=スロバキアで
第12代首相を務めるロベルト・フィツォ首相(59)が
5月15日に銃撃され重体となっていましたが、手術が成功し
命に別状はないとのことです。
この記事では、
ロベルト首相の家族構成やプロフィールについてお伝えします。
ロベルト・フィツォのwikiプロフィール・経歴
プロフィール
- 名前:ロベルト・フィツォ(Robert Fico, Mr.)
- 生年月日:1964年9月15日
- 年齢:59歳(2024年5月現在)
- 出生地:トポルチャニ市(中部スロバキア)
- 学歴
1982~1986年:コメニウス大学法学部、法学博士号取得
1988年:裁判官試験に合格、裁判官資格を取得
1988~1992年:スロバキア科学アカデミー博士課程 助教授資格・法学博士資格等取得
経歴
ロベルト・フィツォ首相は、
第5代、第7代、第12代と
3期にわたってスロバキアの首相を務めてきた人物です。
ロベルト首相は1964年スロバキア・トポルチャニで、
フォークリフト作業員の父を靴販売員の母の間に生まれました。
ちなみに、かつてはチェコスロバキアという1つの連邦国家で、
1989年にチェコ共和国、スロバキア共和国に分離されました。
ロベルト首相は、
1986年にスロバキア最大の都市で首都のブラチスラヴァにある
コメニウス大学法学部を卒業し、法学の博士号を取得、裁判官の資格も取得しています。
社会主義政権が崩壊し2国に分離した後の
1992年に民主左翼党選出の国会議員となりました。
その後離党し、新党「スメル」を立ち上げ党首となります。
2006年の選挙でこのスメルが第一党となり首相に就任。
賃金の引き上げや年金制度の改革などを行いました。
一方で2010年の選挙で連立政権を組んでいた党が敗れ、
政権を明け渡すこととなりました。
その2年後、2012年の選挙では、
スメル党が単体で過半数の議席をとり、首相に返り咲きました。
しかし、
2018年に政権幹部の汚職事件を報道していた記者とその妻が遺体で発見され、
この暗殺事件にロベルト首相が関与していた疑惑が浮上し辞任しました。
しかし2023年にはウクライナ支援とロシアへの制裁の反対を表明し、
親ロシア派の支持を集め、この年の9月に行われた選挙で第一党となり、
3党連立政権としてロベルト氏が三度目の首相となりました。
3期目の任期途中だった2024年5月15日に、男に銃撃され病院に搬送されました。
首相の容体は深刻でしたが懸命な治療の末、
命に別状はないとのことです。
ほんとうによかったですね。
ロベルト・フィツォの家族構成は?
妻
ロベルト首相は結婚していて、
妻と息子がいます。
妻の名前はスヴェトラナ・フィツォさんで、
ロベルト首相の母校・コメニウス大学に勤務し学生相談を担当しています。
・ 1964年9月6日 (年齢:59歳)
2人で投票に行く様子や選挙演説を行う様子も確認されています。
2人が一緒に公の場に出たのは2012年の選挙のときだそうです。
息子
息子の名前はミハル・フィツォです。
・1994年生まれ (年齢:30歳)
フォレル・インターナショナルスクールの出身で、
2013年にブラチスラバ経済大学を卒業したという情報があります。
また有名な実業家ミロスラフ・チュリッラの娘・ナターシャと結婚しています。
ロベルト・フィツォの妻や子供の顔写真は?
こちらが妻スヴェトラナ・フィツォさんです。
笑顔が素敵な方ですね。
こちらが長男のミハル・フィツォさんです。
父親のロベルトさんによく似ています。
家族3人で投票する様子も撮影されていました。
孫に関する情報はまだないので、
ミハル・フィツォさんにまだ子供はいないと思われます。
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