パラバドミントンで活躍している梶原大暉さん。
東京パラリンピックでは金メダルに輝きました。
パラバドミントンで日本は強豪国であり、
メダルが期待されている選手です。
そんな梶原大暉さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
梶原大暉さんの事故の原因や、
経歴、学歴についてまとめてみました。
梶原大暉のwikiプロフィール
- 名前:梶原大暉(かじわら だいき)
- 生年月日:2001年11月13日
- 年齢:22歳(2024年時点)
- 出身地:福岡県福岡市
- 趣味:野球観戦
- 好きな野球チーム:福岡ソフトバンク
- 好きな野球選手:今宮健太選手
- 種目:バドミントン男子ダブルス(車いすWH)
梶原大暉の学歴は?
小学校
梶原大暉さんの出身小学校は、
明かされていませんでした。
小学校3年生の時から
筑紫丘ファイターズ
という野球チームに所属しています。
小学校時代は野球に明け暮れていたみたいです。
中学校
梶原大暉さんの出身中学校は、
福岡市立三宅中学校
です。
中学に入っても野球は続けており、
部活動ではなく、軟式野球チーム
福岡ベースボールクラブ
に所属していました。
ポジションは投手だったようです。
福岡ベースボールクラブは、強いクラブだったので
練習も厳しかったんだとか。
中学時代は厳しい練習を経験してきた。
今でもきついトレーニングをやることがあるけど、
あの時期に乗り越えてきた精神面は大きい
と明かしています。
しかし、13歳の時に事故に遭ってしまい
野球を断念することになってしまいます。
高校
梶原大暉さんの出身高校は、
福岡市立福翔高等学校
です。
高校入学後に、ソーシャルワーカーより
パラスポーツを紹介してもらい、
パラバドミントンをはじめました。
パラバドミントンを選んだ理由は、
ラケットを頭上で振る動作が
野球の投球と似ている
ことから野球の経験が活かせそう
と思ったからのようです。
そして、地元のパラバトミントンチームの
「TEAMSHUTTEL-ONE」
へ入りました。
パラバドミントンを始めてすぐに
国内大会だけでなく、国際大会に出場して
好成績を残しています。
大学
梶原大暉さんの出身大学は、
日本体育大学
です。
新型コロナウイルスの影響で入学式がキャンセルとなり、
授業もオンライン授業がメインだったようです。
本来は、大学進学時に東京で
一人暮らしをする予定でしたが、
コロナウイルスの影響もあり
福岡に残っていたんだとか。
しかし、福岡に残っていたことで
充実した練習ができた
東京パラリンピックへのメダル獲得への自信にも繋がった
と話していました。
そして大学卒業後は、
に就職をしています。
【経歴】梶原大暉の生い立ちは?事故の原因は?
生い立ち
梶原大暉さんは、幼少期から
体を動かすことが好きで
小学校3年生の時から野球をはじめ、
投手として活躍をしています。
中学生になってからも野球を続けていましたが、
不慮の事故により野球ができなくなりました。
そして、高校1年生の時に
パラバドミントンを始めて
高校3年生の時には、パラバドミントンの
強化指定選手となりました。
戦績
国内大会成績
2017年
・日本選手権 シングルス 準優勝
2019年
・日本選手権 シングルス 優勝
男子ダブルス優勝
2020年
・日本選手権 シングルス 優勝(2連覇)
国際大会成績
2019年
・ダイハツJAPANパラバトミントン国際大会
シングルス 銅メダル
ダブルス 銅メダル
・トルコ国際ダブルス ベスト16
・ドバイ国際 ダブルス 準優勝
・世界選手権 ダブルス ベスト8
・デンマーク国際 シングルス 優勝
ダブルス 優勝
2021年
・東京パラリンピック 金メダル
2022年
・ヒューリック・ダイハツBWFパラバドミントン世界選手権
男子シングルス 優勝
男子ダブルス ベスト16
2024
・NSDF Royal Beach Cliff BWF パラバドミントン世界選手権
男子シングルス 優勝
梶原大暉さんは、パラバドミントンを始めて
1年~2年の経験にも関わらず、
好成績を残してきました。
事故の原因は?
梶原大暉さんは、
13歳中学2年生の夏に
交通事故に遭っていまいました。
交通事故詳しい原因については、
明かされていませんでしたが、
自宅から野球の練習場に向かっている途中
の事故だったようです。
病院に運ばれたところまでは覚えているのですが、
そこからは記憶がとぎれとぎれなんです。
はっきりと意識が戻ったのは約1ヶ月後でした。
と語っています。
また、野球が好きだったので
絶望というか
野球が大好きで、野球のことしか考えていなかった
と当時の気持ちを明かしています。
しかし、そのような絶望の中でも
梶原大暉さんを支えてくれたのが、
両親をはじめ、野球のチームメイトや
コーチ、学校の友達だったんだとか。
待ってるぞ
頑張れ
という励ましがあったからこそ、
と前を向くことができたと明かしていました。
また、きついリハビリも
仲間が応援してくれたので
乗り越えられたんだとか。
周りが支えてくれたことが
大きな力になったのでしょうね。
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